今やベテラン俳優として活躍している時任三郎さんの若い頃を年代別にまとめました!リゲインのCMやふぞろいの林檎たち等、ベテラン俳優の過去を振り返ってみてはいかがでしょうか?
目次
時任三郎の生い立ち
時任三郎さんは、俳優や歌手として活動されていますが、現在61歳になっても魅力のある男性として人気を集めていますね!
そんな、時任三郎さんは東京都世田谷区で生まれ、その後は大阪で育ちました。幼い頃の時任三郎さんは、物作りが大好きで、大工に憧れていたそうですね!
「大阪芸術大学」のデザイン学科に入学されるも中退してしまい、その後は上京して俳優養成所に通い、身長188cmを活かし俳優となり、1980年にミュージカル「ヘアー」で俳優デビューを果たしています。若い頃の時任三郎さんも、なかなかのイケメンで人気があったのがわかりますね!
子供時代はいろんな土地を転々としていた
時任三郎さんは、東京都世田谷区で生まれですが、幼少期から土地を転々とされていたそうです。
父親の仕事の都合で、その後は青森県弘前市に行ったり、大阪府松原市に引越しを繰り返していたそうです。
時任三郎さんは、幼稚園から大学まで大阪府松原市に住み過ごしていました。子供としては寂しい思いをしたのかもしれませんね。
大阪芸術大学デザイン科を中退
1974年に「大阪市立工芸高等学校」の木材工芸科(現インテリアデザイン科)に入学された時任三郎さんは、高校時代はバレーボール部とフォークソング部、絵画部の3つの部活活動をされていました!
また、時任三郎さんは学生の頃は大食いだったそうで、餃子の大食いに挑戦されて11分で70個ほど食べたことがあるそうです!
この頃から、身長も高く食べ盛りの時期ではありますが、11分で70も食べるのは凄いですね!
また、高校3年生の時には生徒会長を務めるなど時任三郎さんはリーダーシップを発揮されていたそうです。
時任三郎さんの高校生活は、3つの部活に生徒会長をされる程真面目なのがわかりますね!
そして、1976年に高校を卒業されてからは「大阪芸術大学」のデザイン科に進学されました。
しかし、大学2年生の頃に俳優に憧れてた時任三郎さんは「大阪芸術大学」を中退してしまい、その後は上京され俳優養成所に通い俳優の道へ進んでいます。
大学時代の演劇サークルが俳優になるきっかけに
時任三郎さんは、俳優になるきっかとなったのが「大阪芸術大学」に通っていた頃に、演劇サークルに入り、そこで俳優に憧れを持ち目覚めたそうです。
また、時任三郎さんは物作りが得意で在学中に、自転車制作にハマった時期があり、自分で制作された自転車で大阪から四国まで旅行もした事があるそうです。
そして、時任三郎さんは在学中に「吉本新喜劇」の舞台袖から演者に小道具を渡すアルバイトもしていたことがあったそうです。
時任三郎さんは、大学の演劇サークルがきっかけとなり俳優の道に進み、大学2年生の頃に退学をして上京していますが、とても俳優になりたかったのがわかりますね!
現在も俳優を続けている時任三郎さんは、俳優の仕事が大好きなのがわかりました!
1980年 舞台『ヘアー』で俳優デビュー
時任三郎さんは、大学を中退されてから「俳優養成所」に通い、1980年に公演されていた舞台「ヘアー」で俳優デビューを果たしました。
大学時代から俳優に憧れを持ち、俳優の道に進んだ時任三郎さんは、夢が叶った俳優のデビュー作となっています!
1981年 『川の流れを抱いて眠りたい』で歌手デビュー
時任三郎さんは、俳優だけではなく当時バンド活動もされておりました。
そして、1981年に歌手デビューとなった「川の流れを抱いて眠りたい」でメジャーデビューを果たしています。
当時の時任三郎さんは、体も引き締まってイケメンなのがわかりますね!
1982年 『俺のバラード/真夜中の天気雨』
時任三郎さんは、1982年に3枚目シングルとなった「俺のバラード/真夜中の天気雨」をリリースされています。
シングルはA1 風は激しく、A2 Hungry Days、A3 悲しい日々、A4 ロングラン、A5 俺のバラード、B1 ウェディング・リバー 、B2 さらば夏の光、B3 真夜中の天気雨、B4 ワンモア・トライが収録されています!
1983年 ドラマ『ふぞろいの林檎たち』に出演!
1983年~1997年まで放送されていたTVドラマ「ふぞろいの林檎たち」は、パート4までシリーズ化されていて人気があったTVドラマです。
ドラマの主題歌はサザンオールスターの「いとしのエリー」が流れていてとても懐かしいですね!
架空の四流大学を舞台にされており、学歴が恋愛や進路に暗い影を見せながらも、それを懸命に乗り越えようとしている若者の姿を描いたストーリーです。
時任三郎さんは、岩田健一役として出演されております。
メンバーの中で、女性からモテやすく1番大人びているように見えていますが、実は3人の中で最も喧嘩早く、京都の名家の息子で京都大学卒の兄と、同志社大学に在学している妹に挟まれ、学歴にコンプレックスを抱えています。
1988年 リゲインのCMでブレイク!
時任三郎さんといえば、1988年に「24時間戦えますか?」と言うキャッチフレーズの「リゲイン」のCMでブレークされましたね!
「リゲイン」のCMで 、時任三郎さんは知名度があがり、人気が出たとも言われています。
また「三共」から発売された栄養ドリンク「リゲイン」のCMの中でも、多くの方が記憶に残ったCMですね!
1992年 『ほろ苦い夜/スウィート・ディスタンス』
1992年に、時任三郎さんの17枚目シングル「ほろ苦い夜/スウィート・ディスタンス」がリリースされました。
1. ほろ苦い夜2. スウィート・ディスタンス3. ほろ苦い夜(オリジナル・カラオケ)が収録されています!
CDジャケットも、時任三郎さんは奇抜な格好にチャレンジされていましたね!
2000年 映画『天国までの百マイル』
浅田次郎さんのベストセラー同名小説を映画化された感動のヒューマン・ファンタジーの「天国までの百マイル」が、2000年にロードショーされました。
どん底人生を送る中年男性が最愛の母を救うために奮闘されて、ふたたび立ち直る姿に胸をうつ物語となっています。
時任三郎さんは、城所安男役として出演されております。また、八千草薫さんは城所きぬ江役で出演されており、大物女優の大竹しのぶさんも水島マリ役で出演されています。
そして、2001年には「テレビ東京21世紀特別企画」としてTVで放送されています。また、数々の賞も受賞されており、「第56回芸術祭」優秀賞受賞や2001年「日本民間放送連盟賞」優秀賞受賞、「第19回ATP賞2002」優秀賞受賞をされているほどの人気映画となっています!
2003年~ 『Dr.コトー診療所』
2003年に、山田貴敏さんの漫画を実写化したTVドラマ「Dr.コトー診療所」が放送されました。主演は吉岡秀隆さんが務め、2004年には「特別編」と「Dr.コトー診療所2004」が放送されています。
第2期は、2006年に「木曜劇場」枠で放送されるほど人気のあるTVドラマです。時任三郎さんは、原剛利(漁師)役で出演されています。
主題歌は中島みゆきの「銀の龍の背に乗って」となっており、当時はよく有線で流れていましたね!
「Dr.コトー診療所」は、最初の患者となった島の少年が、感謝の印として贈ってくれた診療所の旗に「ドクターコトー診療所」と書かれてから、五島は島民から「コトー」と呼ばれるようになりました。
コトーの医師としての技量の良さや、誠実な人柄に、最初は嫌がられていた島民からしだいに、受け入れられ交流を深めていくストーリーとなっています!
2019年 ドラマ『監察医 朝顔』に出演
現在放送中の月9TVドラマ「監察医 朝顔」に、上野樹里さんが「のだめカンタービレ」以来13年ぶりに月9で主演を務めています。
主演の上野樹里さんが演じている役は、新米法医学者の万木朝顔役で、その父親役に時任三郎さんが出演しています。
時任三郎さんの役柄は、ベテラン刑事の万木平役で、かけがえない日々を描かれている作品です。また「監察医朝顔」は、「週刊漫画サンデー」に連載されていた医療漫画から、TVドラマ化されています。
主役の上野樹里さんと時任三郎さんが、死因の謎を解き明かしていき、遺体から見つけ出した「生きた証」を、生きている方達の心を救うヒューマンサスペンスとなっています。漫画とTVの違いでは、ドラマでは万木朝顔の母は「阪神大震災」で亡くしたという設定を 「東日本大震災」により母が行方不明にアレンジして放送されていますね!
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