さだまさしの若い頃画像まとめ!精霊流しからグレープ解散!関白宣言まで!

歌手

北の国から」で有名なシンガーソングライターさだまさしさんの若い頃画像まとめ精霊流しから関白宣言グレープ解散まで一挙にまとめました!

裕福な家庭に生まれ、ヴァイオリンの才覚を表す

人気歌手のさだまさしさんは、長崎出身で子供の頃には全国でトップクラスのバイオリニストだったそうです。

優れた音楽性で、温和な人柄でよく知られていますね!そんな、さだまさしさんは長崎県長崎市で育ち、佐田家の長男として生まれました。

3歳の頃には、ヴァイオリンを始めて、小学校高学年の時には、コンクールに出場されるために毎日8時間も練習していたそうです。そして、小学校卒業後は「自分には才能がある。必ずプロのバイオリニストになる!」と信じて、単身上京をされ葛飾区内の中学校に入学しました。

また、このころに歌手で俳優の加山雄三さんに憧れをもち、ギターも練習を始めていました。しかし、プロのバイオリニストになるのが夢だったさだまさしさんは、高校は「音楽大学附属高校」に受験されましたが、残念ながら落ちてしまいました。

初めて、さだまさしさんは挫折を味わい失意のまま、別の高校に入学されました。

「何に情熱をかたむけていけばいいのか。自分に何ができる?」

と、悩みながら青春時代を過ごしてきたそうです。

裕福な家庭に育ったさだまさしは、バイオリンの才能を生かして上京されましたが、高校では落ちてしまった悔しさから、猛特訓をされて成功の道に繋がったのではないのでしょうか。

 

バンドグループ『グレープ』の誕生

さだまさしさんは、吉田政美さんと1972年に「グレープ」を結成されてデビューを果たしました。高校生の時に知り合いの友人を通じて知り合い、意気投合して1972年にデュオバンドを結成されています。

そして、吉田政美さんが楽譜のトレードマークにされていた「Grape」にバンド名に提案されて、さだまさしさんは「そうしよう!」と答え、1分くらいでグループ名が決まったそうです。それから「グレープ」は、全国に知られるようになり、人気を出してきました。

さだまさしとゴスペラーズが親戚!?

 

精霊流し

「精霊流し」は、20031213日にさだまさしさんの自伝的な小説が、映画化されて公開されています。

物語の舞台は長崎県で、さだまさしさんの子供の頃を描いているストーリーとなっていました。

そして、「精霊流し」の発売当時のグレープはデビューされたばかりで、名も無き存在となっていたために、初動売り上げは伸びないままとなっていました。

しかし、東海ラジオの深夜番組に放送されていた一部に流されたことからきっかけに、徐々に知名度を上げていき、全国的なヒットへと繋げていきました。

初回プレスでは、わずか4500枚だった「精霊流し」でしたが、累計売上枚数は驚くほどに伸びていき、なんと30万枚にまで達されています!

また、第16回「日本レコード大賞」の作詩賞を受賞されるなど、グレープはもちろんさだまさしさん本人も代表される曲となりましたね!

 

無縁坂

さだまさしさんが、作詞と作曲をされた「無縁坂」の曲は、まだ幼かった頃のさだまさしさんが、お母さんに手を繋いで引いてもらって登った「坂」を、大人になったさだまさしさんがふと思い出し、お母さんの人生を「坂」にたとえて作った曲となっていました!

実際に「無縁坂」は存在する坂の名前だったことがわかりました!「無縁坂」がある場所は、東京都文京区の湯島にありました!まだ若かった頃のお母さんが、幼い頃のさだまさしさんの手を繋いで、坂を登っている情景が浮かんできます。

しかし、歌を聴いていると親子でワイワイと騒ぎながら、坂を登っているわけではないことがわかります。さだまさしさんは、自身の出来事をそのまま作詞して書いた曲なのか、想像して作った作詞なのかまではわかりませんでした。

また、さだまさしさんは高校生時代の頃から小説を書くことにも、興味があり書いていたこともあったので、噂によるところ歌い出しは小説の一節だとも言われていました。さだまさしさんの頭の中では、お母さんの人生を坂に例えていたことには間違いないと思いました。

 

縁切り寺

さだまさしさんの「縁切寺」は、1976年1月に「グレープ」がリリースされた最後の楽曲でした。歌の歌詞をみても、寂しい感じがしますね。

当時さだまさしさんは、23歳の時の歌となっています。哲学者とも言われている、さだまさしさんの歌詞も初期の頃に比べてみると歌は分かりやすくなっていました。

「グレープ」の解散前の曲となっていますので、寂しい思いをそのまま歌に表したのかしれませんね。

 

そして解散。

さだまさしさんと吉田政美さんは、1972に「グレープ」を結成されて、1976に解散してしまいました。「グレープ」での活動は4年で幕を下ろしてしまいましたが、解散の理由についたはさだまさしさんの、体調不良による事から解散されています。

もしも、さだまさしさんの体調が万全だったら恐らく「グレープ」は、現在も活動されていた可能性はあったと思います。

しかし、さだまさしさんは「グレープ」を継続させるために、当時のレコーディングディレクターに「グループ」の活動休止1年を提案をしたところ、「世間には忘れ去られてしまうよ!」と、はねつけられてしまいました。

また、精霊流しのヒットでは、「グレープ」は暗いイメージをつけてしまったそうで、自分たが思い描いてた音楽活動ができず、ストレスも溜まっていたと思います。

さだまさしさんと吉田政美さんの、仲が悪いから解散となったわけではなく、さだまさしさんの体調不良などの原因で、活動継続ができなくなってしまい解散となりました。

さだまさしとツケメンの深い関係とは!?

 

歌手『さだまさし』の誕生

さだまさしさんは、「グレープ」を解散された後は、半年休養されてからソロアーティストとして再スタートをされました。体調不良が原因で解散されてからの間は、治療にも専念されて就職活動もしていたと言われております。

しかし、音楽の道を諦めきれなかったさだまさしさんは、ソロアーティストとなり現在も音楽活動がをされています!昔は、好きな音楽ができなくて悩んでいたこともあったそうですが、現在のさだまさしさんは大物歌手として、名をあげています。

 

大ヒットミリオンセラー『関白宣言』

「関白宣言」は、1979年にリリースされて、160万枚を超えるセールを叩き出した作品となっています。「日本レコード大賞」で金賞を受賞されるなどさだまさしさんの名作の1つです!

「関白宣言」はタイトルの通り、結婚して夫となる男性が、妻になる女性に対して、亭主関白になることを宣言された曲ですね。1979年の当時は「女性差別だ」と言われることもあった時代となっていました。

しかし、曲を聞くと後半では不器用ながらにも、妻への愛情が伝わってくる歌詞となっていて、心温まる一曲に仕上げています!まだ聴いたことない方は、ぜひ1度聴いてみてください!

 

知らない人はいない『北の国から』

さだまさしさんの、名曲となっている「北の国から」は、1981年にリリースされて、知らない方がいないほどの名作品となっています!

驚くことに「北の国から」の、曲はわずか30分で作り上げたそうです!

「北の国から」の倉本聰監督から、さだまさしさんは呼ばれて、ドラマの1.2話を見せてから「曲を作ってくれ」と言われて作ったそうです。皆さんご存知な、口ずさみたくなるあのメロディーの「あ~あ~♪」は、作詞を入れないでの曲には、さだまさしさんも勇気がいたそうです。

しかし、作詞なくても莫大な人気を誇った「北の国から」はドラマにもピッタリな曲となっていますね!

コメント

タイトルとURLをコピーしました